今回のゲストは、おおきなき練馬のホームヘルパーとして働く古川美由紀さん(運営:株式会社日本エルダリーケアサービス)。お母様への介護体験とコロナウイルスの流行が、彼女の人生を大きく変えたそうです。長く勤めていた旅行会社から介護職へと転身し「自分を取り巻く世界ががらりと変わった」と語る古川さん。在宅介護の世界には、一体どんな気づきと学びがあったのでしょうか?
訪日外国人向け旅行会社で手配業務を約20年間担当。しかし2020年、コロナによるインバウンド需要の喪失と実母の看取りを経験し、介護職への転職を決意する。初任者・実務者研修を修了したのち、ホームヘルパーとして働きはじめて1年目。
| 2000年〜2020年 | 旅行会社で外国人向け国内ツアーの企画業務へ従事 |
| 2020年 | 初任者・実務者研修を受講 |
| 2021年 | 株式会社日本エルダリーケアサービスへ入社 |
古川美由紀さんのLIFE STORY
旅行会社で訪日外国人観光客のツアー手配
まずはこれまでのご経歴をお願いします。
高校卒業から結婚・出産するまでの約10年間は、医療事務や飲食店など複数の仕事を経験しました。いろんなことに興味関心を持つタイプなので、仕事と並行してカメラの勉強をしたりフラメンコを習いに行ったり、忙しいながらも充実した毎日を送っていました。
けれど妊娠してからの経過が悪く、大事を取って当時の職場は退職することに。しばらくは専業主婦として育児に専念することにしました。
お仕事に復帰されたのはいつでしょうか?
無事に出産を迎え、子どもが生後6ヵ月になった頃でした。たまたま訪れた役所で、職員さんから「今なら保育園に空きが出ている。でもこのタイミングを逃したら、いくら働きたくても数年間は保育園に入園できない状況だ」と教えてもらったんです。
それまでは、3歳になるくらいまで主婦として過ごそうかなとぼんやり考えていました。けれど、待機児童問題を目の前に突き付けられてしまうと途端に焦っちゃって(苦笑)。
結局、保育園へ入園させることにして、とにかく働き口を探さなきゃと就職活動を始めました。そして、子持ち・未経験・資格なしでも採用をいただけたのが、旅行会社の手配業務という仕事だったんです。

具体的な業務の内容を教えてください。
主に東南アジア諸国からの訪日観光客を相手にした、国内ツアーの諸手配を任されました。宿泊ホテル、貸切バス、レストラン等の予約業務がメインです。
かなりお忙しかったのでは?
インバウンド市場が急成長していた時期ですからね。月の残業時間が150時間を超えてしまったこともあります。もう少しゆったりとしたペースで働きたいと、同じ旅行業界内で転職も経験しました。
お仕事の面白さはどこにありましたか?
ムスリムやベジタリアンのお客様も多かったので、お料理などへさまざまな配慮が必要でした。メニュー自体は問題ないように見えても、調味料の中に禁忌とされる食品のエキスが混入している場合もあります。
今でこそ認知が進み、ヴィーガンレストランなど含め選択肢も増えていますが、当時は受け入れ体制が十分とはいえませんでした。
そこで、イスラム教徒も食べられるハラルメニューの考案や宿泊の受け入れをお願いするため、都内のレストラン・ホテル1軒1軒を回ったんです。
苦労はありましたが、関係各所が知恵と工夫で対応してくださったのは良い思い出です。無事に海外からのお客様を迎え入れられたときは、何とも言えない達成感がありましたね。
| Before | After | |
|---|---|---|
| 雇用形態 | 正社員 | 正社員 |
| 業種 | 旅行業 | 訪問介護 |
| 職種 | 事務職 | 介護士 |
| 勤務時間 | 10:00〜18:00 | 9:00〜18:00 |
| 休日 | 日・祝・隔週土曜 | 水・日 |
| 仕事内容 | 手配・商談 | 身体介助・生活支援 |
母の看取りが教えてくれた新しい生き方
楽しく働いていた旅行業界を辞めたのはなぜでしょうか?
1番大きな理由はコロナの影響です。業界にいた20年の間、SARSや東日本大震災などが原因で受注ゼロになった時期は何度かありました。けれど2020年以降は見通しが付かない状況が続き、過去とは比べ物になりませんでした。
最初の緊急事態宣言から1年経っても明るい兆しが見えなかったため、転職へ踏み切ることにしたんです。
転職先に介護の世界を選んだ理由を教えてください
3年ほど前、それまで健康そのものだった実母に癌が見つかったんです。急きょ、検査入院を行い退院後、みるみるうちに弱ってしまい、在宅介護が突然スタートしました。
父も私も何の知識もなく、心の準備も整わないまま介護と向き合うことになり、例えばオムツ交換なんかもまったく上手にできなくて。赤ちゃんへするように力ずくで足を持ち上げたりとか、母にはとても恥ずかしい思いをさせてしまいました。
結局、自宅へ戻ってたった数ヵ月で亡くなってしまったんですが、もっといろんなことをしてあげられたはずなのにと、大きな後悔が心に残りました。
同時に、母のために通ってくれていたヘルパーさんたちの姿に、介護職という仕事の高尚さや尊さを感じたんです。「いつか私もこんな人になりたい!」という憧れは消えることなく、転職を考えたとき、介護の世界のことが真っ先に頭に浮かびました。

古川さんの決断に、ご家族の反応は?
寝たきりになった母は訪問入浴を利用していて、当時高校生だった長男が介助の様子を見学したことがあります。
あんなに元気だったおばあちゃんが、誰かの手を借りなければお風呂にも入れない。現実を受け入れるというのは残酷なことかもしれないけれど、人が老いるということはこういうことだと知ってほしいという気持ちが私の中でありました。
この経験を通して長男なりに何か感じる所があったのか、私が介護士になろうと思うと伝えた時「それ、すごく良いと思うよ」とすぐに背中を押してくれたんです。息子がそう言ってくれたおかげで、介護の道へ進む決意がより明確に固まったように思います。
お母様が道を示してくださったのかもしれませんね。
そうですね。母は最後の最後に、私たち親子へたくさんのことを教えてくれたんだと感謝しています。
季節を感じながら丁寧に紡ぐ、毎日のケア業務
現在お勤めの日本エルダリーケアサービスへ入社を決めた理由を教えてください。
企業説明会に参加した際、今の私の上司から訪問介護事業所の見学に誘われました。どんなところか見てみようと軽い気持ちでお邪魔したら、いきなり利用者様宅への訪問に同行することになっちゃって(笑)。
私が通っていた資格講座では、コロナ禍のため実習授業が行われなかったんです。だから、その日の同行で生まれてはじめて在宅介護の現場を目の当たりにしました。ショックとか驚きとか、さまざまな感情がうずまきましたね。
ちゃんと介護士やっていけるかな、大丈夫かなという少しの不安と同時に、もっといろんなことを知りたいといった期待もあふれてきて、ここでお世話になろうと決めました。

やはり古川さんの中で、ホームヘルパーという職種へのこだわりはあったのでしょうか?
いいえ。むしろ、資格勉強をはじめた当初は、介護のイロハを知るためには入居施設で働くことが1番の近道だろうと考えていました。
でも夜勤などで生活スタイルが崩れるのには抵抗があったし、見学を通してヘルパーの現場を体感できたことで、利用者様の日常を変えることなく暮らしをお手伝いするこの仕事って面白いなと思った結果です。
なるほど。では働き方について詳しく教えてください。
9時〜18時が勤務時間で、利用者様宅への訪問は1日6件程度です。お休みは週2日、曜日固定となっています。
基本的に訪問先へは直行直帰です。それぞれの介護記録はスマホのアプリから報告できるため、事務所へ出勤する必要はありません。
でも、合間の時間に1日1回は事務所へ寄るようにしています。上司や先輩へ仕事の相談をしたり、他愛ないおしゃべりをしたり。福祉の図書を借りて勉強することもあります。

ヘルパーの仕事をする上で、心がけていることを教えてください。
相手の言葉や表情だけですべてを判断してはいけないということ。「私は体に痛みがあるときほど、笑顔で過ごすようにしているのよ」とお話された利用者様がいらっしゃいます。
耐えることが美徳という世代の方も多いので、大丈夫という言葉だけを鵜呑みにせず、その方が抱える本当のつらさに気が付くヘルパーでありたいと思っています。
小さなことも見逃さない注意深さが必要なんですね。
誰かに迷惑をかけちゃいけないと、限界まで我慢してしまう方もいますからね。些細な変化も事業所内でシェアしていきたいです。
それに、悪い変化だけじゃありません。あるとき、普段は厳しい表情の利用者様が、飼い猫と遊ぶリラックスした姿を見せてくれたことがありました。ほんの一瞬のことでしたがすごく印象に残って、こんなお顔もされるんだよと介護記録に書きました。
こういった小さな発見の積み重ねが、利用者様との絆を深める結果につながればいいなと思っています。

前職とはここが一番違う!と感じる点はどこでしょうか?
旅行会社ではデスクワークが主でしたから、頭も体も使い所すべてが違いますね。年齢も50歳を過ぎ、やはり体力面の不安は隠せませんし(苦笑)。逆に、積もり積もった運動不足を解消させてもらえてありがたいとも思っています。
訪問での移動には自転車を使っていて、ルートの1つに緩やかで長い坂があるんです。この難所を自転車で一息に上がれなくなった時はヘルパーを引退する、というマイルールを設定しているんです。
ご自身の引き際まで決めていらっしゃるとは!
だから毎回、決死の思いで自転車を漕いでいますよ(笑)。登り切るたびに「今日も大丈夫だった、まだ頑張れるわ」と胸をなで下ろしています。
それに、自転車移動は健康のバロメーターとしてだけでなく、楽しみも教えてくれました。この辺りは四季折々の花が咲く緑道が続いていて、例えば今の季節なら「桜が散ってハナミズキが咲いたから、次はアジサイかしら」なんて考えながら次の目的地に向かうんです。
これまで特に花好きでもなかったんですが、ヘルパーになってからは毎日の生活に季節の色彩があふれるようになりました。人間らしさを感じるというか、自分の暮らし方や感覚がまるっきり変わったなとしみじみ思います。
ヘルパーは私の天職!胸を張ってそう言えるように
古川さんのこれからの目標を教えてください。
念願だった介護の仕事に就いてみて、この世界は奥が深いなと改めて感じています。ルーティンのように身体介助をして終わりという話ではなく、医療の知識も持っていた方がいいし、相手のお話を聞いて気持ちを汲み取る能力も必要です。
これからも勉強を怠らず、より利用者様のお役に立てるヘルパーとして、進化し続けたいと思っています。

他の職種にも挑戦したいという希望はお持ちですか?
現時点ではありません。私は「介護とはお年寄りを相手にするもの」という固定概念を持っていました。けれどいざ仕事を始めてみたら、障がいを持つ若い方も利用されていて、さまざまな背景の人が多種多様な困り事を抱えている現実を知りました。
また、ホームヘルパーとは、利用者様の日常そのものへ足を踏み入れる仕事です。これまで交わることのなかった方々のお宅へ伺うわけですから、私の常識が相手の常識ではない時だってあります。料理の味付け1つ取っても、各家庭で全然違いますよね?
今までの自分は、とても狭い視野の元で生きてきたのだなと痛感することばかりです。ヘルパーの仕事は気づきと学びにあふれていて、私の世界を広げてくれました。このやりがいや面白さを今後も目一杯楽しんでいきたい。そう思っています。
古川さんは今のお仕事を誇りに感じていらっしゃるのですね。
そうですね。謙虚さと素直さを忘れることなく、ヘルパーは私の天職だと自信を持って言えるよう、努力を重ねていきたいです。
最後に、介護職への転身を考える方へメッセージをお願いします。
介護の道に入ろうと思った時点で、迷うことなくぜひ突き進んでみてください。直感を大切に、ありのままの自分できっと大丈夫。頑張ってください!

撮影:丸山剛史
はこちら 株式会社日本エルダリーケアサービス